2015年 3月、次男 海、中学校を 卒業 3~憧れのとび職。

引退まで、運動部に所属していた 息子。

中学3年の6~7月頃、部活動が引退になれば、少しは 自分の

将来に向けて、真摯に向き合う時期がくるだろうと、母は期待して

いた。


 
しかし、待っても待っても、卒業したらどうしたいのか、高校に進学

したいのかさえ、伝わってこなかった。

息子は将来の自分の進路なのに、どこか投げやりにも感じられる

態度だった。




「受験生」とは、かけ離れた日々は、卒業までずっと続いた。



中学卒業後就職する生徒は、統計上は、極わずかだ。

しかし、息子の周囲には、何人も居たのだ。

就職組は、他校の生徒も加わり、仲間になっていたのだ。

卒業まで受験勉強をしない子たちが、息子の周りには何人もいた。

進学はするが、たいして受験勉強もしないで遊んでいる子も、

大勢いた。




しかし、学校全体の子に目を向ければ、多くの子は、週に何日も塾に

通うような日々を送っていた。

今、思い出しても、受験生とは呼べない息子の生活態度に、イライラ、

ハラハラさせられっぱなしだった。



「自分は、勉強は嫌いなのだ」 

息子は、先生との進路面談でも、親との話し合いでも、そう言い

放ち、それを貫いてしまった。




夏休み前までは、塾に通っていた。

本人の希望で通い始めた塾だったが、誘ってくれて共に通っていた

友人が辞めたのをきっかけに、これから受験勉強の本番という夏休み

前に、辞めてしまったのだ。

それからは、受験勉強らしい取組は、ほんの少ししかできなかった。




これほど嫌いなのだから、勉強に向かわせるより、就職させた方が

いいかもしれない、それも親としては考えた。

しかし、就職は、ある意味、進学以上に過酷で、覚悟が必要だろう。

いくら勉強が嫌いだからと言っても、甘い気持ちでは、社会で通用

しないだろうから…。

何もかもが、まだまだ、未熟すぎるのだ。




息子は、仲間に誘われて、とび職になりたいような話をしたこともあった。

多くは語らなかったが、鳶職人は、息子たちにとって、憧れだったの

かもしれない。


鳶職人が穿くような、「ニッカボッカ」 という、だぶだぶのズボンを

親には内緒で購入し、 出歩くようになった。


母の目を盗んでのことだから、どの程度の頻度で、ニッカボッカ姿

になっていたかは、不明だ。

友達の家などの外出先で着替えていたようなのだ。

もちろん本物の鳶職人ではないのだから、黒いニッカボッカ姿の

中学生が何人も居たら、人は、「不良」 と呼ぶかもしれない。



その頃の息子はと言えば、170センチを超え、体重が50キロにも

届かないようなか細い身体で、始終立ちくらみを起こしていた。

とても、高いところでの重労働には耐えられそうにない。

どう考えても、今のままでは、鳶職人は無理だ。



中3の秋頃に出合った友達が、卒業後自営業の、鳶職人、建築関係の

仕事に就くことに、影響されたのだ。

息子も雇ってもいいと、誘われたこともあるようだ。



息子は、どの程度本気だったのかは、計り知れない。

しかし、就職する仲間を、うらやましそうにしていたのも、事実だ。



こんな様子だったのだから、3月、公立高校への入学候補者になる

までは、紆余曲折、母は、ストレスの連続だった







 



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